こんにちは。tete la です。
『PSYCHO-EMOTIONAL PAIN and the EIGHT EXTRAORDINARY VESSELS』
by Yvonne R. Farrell の要約。
第一部の第3章。
自分メモシリーズ。
第3章
衝脈
別称:推進力の経絡、貫通する経絡、気の大通り
衝脈はすべての経絡の源としてとらえることができます。
未分化の陰陽と言われています。
血海(陰)と元気の海(陽)
五臓の海(陰)と六腑の海(陽)
陰と陽のこの組み合わせは、
衝脈がその中に生命に必要なすべての資源を含んでいることを意味します。
それは純粋な可能性、統一、そして全体性を表しています。
これは、両親から受け継がれた前世代の遺伝情報が入っている経絡ということ。
ある世代から次の世代へのエッセンスの伝達を担当する経絡です。
衝脈の全体性または統一性は陰と陽を生み出し、
その陰と陽はさまざまな表現で表されます。
衝脈は奇経八脈の中でも特殊です。
衝脈の5つの経路は、
つま先の先端から頭のてっぺんまで、身体の広い領域をカバーしています。
衝脈は胃経と腎経に対して強い影響を与え、
出生前と出生後の資源間の深いつながりを提供します。
それは子宮内での出生前の経験と出生後の新しい存在との架け橋です。
それはまた、私たちと前の世代との間の架け橋でもあります。
衝脈は血統の連続性を維持する機能を持っていると言えます。
その継続性は私たちの人生に意味を与えてくれるかもしれませんし、
私たちの自己の完全な表現への障害を生み出す
足枷や鎖となっているかもしれません。
出生前の衝脈は、受胎時および妊娠中に両親から私たちに伝達される
DNA(エッセンス/精)の貯蔵庫として機能します。
衝脈は私たち個人の運命の種が植えられる場所です。
これは私たちの人生のカリキュラムが供給される場所です。
それは自分が誰であるかという本質と
私たちが元神(Original Spirit)のレベルで
何になることができるかについての可能性を含んでいます。
私たちが生まれるときに、衝脈が出生前と出生後の存在をつなぎ、
家系、家族の歴史に接続し、自分が誰であるかという最も本質的な部分の本拠地を作ります。
このつながりは、衝脈の流注と流注上の経穴で簡単に見ることができます。
この経絡のマスターポイントである公孫/Sp-4 は、
私たちの両親を超えたもっと前からの世代間のつながりを意味し、
私たちが受け継いでいるものは両親だけから来ているのではないことを意味します。
私たちがこの生涯で明らかにするギフトは、
私たちの前の何世代にもわたってやって来ているかもしれません。
衝脈は、腎経、脾経、胃経からかなりの数の経穴を共有しており、
先天の気(腎)と後天の気(脾と胃)をつなげる力を支えています。
腎経の経穴は主に体幹(大赫/Ki-12から兪府/Ki-27)にあり、
脾経と胃経の経穴は、気衝/St-30から始まる体幹に繋がってつま先まで続く脚にあります。
出生前の側面(腎)が私たちの核心(体幹)に近くに分布しており、
出生後の機能(脾と胃)が私たちが人生の旅に沿って進むための脚に
分布していることはとても興味深いことです。
出生前の側面には、私たち人生の旅のために与えられたすべての源泉が含まれています。
衝脈の出生後の側面は、それらの源泉を広め、養い、サポートするために
私たちが歩むステップです。
衝脈と創造
天地創造の神話では、
神は自身の契約によって宇宙/世界を創り出し、
神自身の分身が生まれる余地を作ります。
神は、自身の奥深くで収縮することによって分離し、
他の何かが存在する機会と空間を創り出します。
これは、受精卵の細胞分裂に表れています。
この単一の細胞には、必要なものがすべて含まれており、
すべてが時間の経過とともに受け継がれます。
細胞分裂/創造の行為において、
受精卵はそれ自体で収縮し、次に分裂します。
最初に2つの細胞になり、
次にそれらの細胞が収縮して4つになり、
4つが8つになり、8つが多数になります。
この創造の流れは、
無私の行為、退屈さ、あるいは好奇なものとしてさえ捉えることができます。
個人の見方がどうであれ、
経験が存在するためには、最初に1つが2つ(陰と陽)になり、
2つが多くになる必要があると推論するのが合理的です。
衝脈は出生前の存在の「一つ」または「すべて」であるため、
私たちが出生後の経験または人間の経験をするためには、
衝脈は原始の陰(任脈)と原始の陽(督脈)という極性を生み出さなければなりません。
そしてこの第一の分離/創造の工程から、
これら2つ(任脈と督脈)は多くになります。
この創造の流れは強くたくましいものですが、
精神(spirit)を犠牲にするものでもあります。
精神は全体からの分離としてこの創造の流れを体験します。
あなたが創造の流れを体験するならば、それは精神を犠牲にしているということです。
そしてそれ故にこの犠牲を修復するか、または全体に戻るという本能的な衝動があります。
衝脈の出生前の側面は統合であり、
出生後はひたすらその統合に戻ろうとします。
私たちが愛に満ちた環境で育ち、自分には確かに価値があり完璧であることを
いつも思い出しながら生活しているなら、おそらく修復への意欲はそれほど欲しないでしょうし、
後々に、失望や失敗する出来事が起きるまで修復への意欲は現れないでしょう。
しかし、修復または統合への意欲は、最終的には主張してくるでしょう。
これは、幼い頃が穏やかではなく、
非常に幼い頃から自分が壊れているように感じていた場合に特に当てはまります。
帰りたいという衝動や衝動が起こったとき、
私たちは自分自身に実存的な質問をし始めます:
・「私は誰なのか?」
・「なぜ私はここにいるのか?」
・「私の目的とは何か?」
・「人生の意味は何か?」
・「これで全てなのか?」
・「全体とはどういう意味なのか?」
衝脈の強みは、私たちが人生を旅するために必要なものを
すべて持っていることを思い出させる能力にあります。
衝脈は自分が誰であるかを思い出させます。
それが私たちの真偽の源です。
衝脈は自分の存在の最も明確で最も真実の部分を提供することができる経絡です。
それは、私たちが誰であるかという、完璧で、途切れることなく、
何でもできる部分へのアクセスを私たちに与えてくれます。
自分自身の一部が地上の経験を持っている精神的な存在であり、
その経験が私たちの光の質と内容を変えることはできないことを私たちに思い出させてくれます。
衝脈はまた、私たちを家系(血と神/blood and spirit)に結び付けます。
生殖行為を通じて天命を受け取ることで、
私たちは両親を通して家系および文化的な集団の一部に組み込まれるのと同じように、
霊性的な系統の一部に組み込まれます。
衝脈は両親から与えられたエッセンス/精を役立つようにしていくため、
悪いものも良いものもいっしょに取りこむようになっています。
両親が健康的なエッセンスまたは十分なエッセンスを提供できない場合、
私たちはカリキュラムの一部として不足に対処することを余儀なくされています。
私たちは、与えられたものを最大限に活用するだけでなく、
赤字をサポートする生き方を見つけるという、
出生後の在り方について余白を与えられています。
Aさんが大家族に生まれたとしましょう。
父母が20代前半でAさんが第一子として生まれた場合は、
両親が提供しなければならなかった最高のエッセンス/精を
幸運にも受け取った可能性が高いでしょう。
一方、母親が40代で、Aさんが末子として生まれ、母親が出産に苦労した場合は、
Aさんはエッセンスにおいて、
ショートカットされたという事実に対処する必要があるかもしれません。
これは、先天の精が最適ではない可能性があり、
後天の精でそれらをサポートする必要があるという事実に
対処する必要があるかもしれないことを意味します。
したがって、末子の場合
その子は自分の体からの声を無視することができなくなるかもしれません。
あるいは、その必要性を無視することにより大きな代償を払うかもしれません。
特定の病気や感情的な不均衡に対してより脆弱かもしれません。
他の兄弟よりも疲れやすいかもしれません。
他の兄弟より簡単に圧倒されるかもしれません。
あるいは、駆動力が少なくまたは野心的でないかもしれません。
これはその子が劣っているということを意味するものではありません。
それは、精が少ないことがカリキュラムの一部であることを意味するだけであり、
それを認識して受け入れるのが早ければ早いほど、
それらの精を最も効果的な方法で使用できるようになります。
衝脈や精について知るもう一つの方法は免疫システムにあります。
あなたが病気にかかりやすい弱い体質で生まれたなら、
あなたはそれを克服するのを助けることができるか、
もしくは少なくとも病気にかかりにくくするライフスタイルと食事の選択をしなければなりません。
癌が多い家系の場合、その脆弱性や素因は衝脈に受け継がれるため、
出生後の衝脈を使って、食事や運動だけでなく、ストレスへの対処方法などの
健康的なライフスタイルをサポートする必要があります。
さらに、あなたもいつか癌になる可能性があることに対して
制限的な信念を持っているかもしれないことを考慮することも賢明でしょう。
あなたはこの病気の痕跡または遺伝的素因を与えられていますが、
その素因が発現されるかどうかの決定的な要素である自由意志も与えられています。
これが遺伝学とエピジェネティクスの違いです。
衝脈は、患者が遺伝子発現を変化させるのを助けるために使用できると言えるかもしれません。
*エピジェネティクスとは、
DNAの配列変化によらない遺伝子発現を制御・伝達するシステム及び学術分野のこと。
衝脈と世代間のトラウマ
トラウマ体験は、世代から世代へと受け継がれることもあります。
これは、特定の種類の精神疾患がなぜ同じ家系内で発生するのかを
説明するのに役立つ可能性があります。
未解決または圧倒的なトラウマは、トラウマを受けた人の骨に蓄積されます。
これは、それらのトラウマの痕跡が私たちの精に残り、
その精が次の世代に伝えられることを意味します。
私たちは、両親とさらに祖父母の傷を背負っているのかもしれません。
いくつかのトラウマは何世代にもわたって受け継がれています。
これは、恐怖、不安、罪悪感、恥、自尊心の欠如などの感情として表れる場合があり、
現在の状況に基づいて根拠のない、または正当化できないと思われる場合があります。
私たちは、現在の私たちの生活に存在するものよりも、
曾祖父母に起こった何かと関係がある「何かが足りない」という感情を
抱えて生きているのかもしれません。
大虐殺時代を生き延びた人々の後に続く世代にとって
当時の圧倒的な肉体的および精神的トラウマは、
生存者の本質に強い痕跡を残したに違いありません。
そのようなトラウマは、魂に刻まれるだけでなく、DNAをも変化させます。
また、
トラウマが次の世代に引き継がれるにつれて、
トラウマに直面しても人間性を維持することで得られる強さも引き継がれます。
衝脈は、これを伝達する経絡です。
先祖が奴隷であった家系から生まれたアフリカ系アメリカ人は、
そのトラウマをDNAに持っているでしょう。
彼らはまた、想像を絶するトラウマに直面して生き残った人々の
回復力と強さを持っているはずでしょう。
問題は、トラウマか回復力か、
何を養うかということになります。
赤字に焦点を合わせますか?
それとも、
その血統のおかげで、灰の中から不死鳥のように立ち上がることができることに焦点を合わせますか?
立ち直る力と、あらゆる困難を乗り越える力に支えられ、生き延びられます。
この刻印を受け取ったことを受け入れることができれば、
自由意志を使ってそれを超えることができます。
さらに重要なことは、
意識と努力によって、将来の世代の連鎖を断ち切ることができるということです。
これらは、世代を超えたトラウマの大きく簡単にアクセスできる例ですが、
至る所にその証拠があります。
うつ病、中毒、不安症の家族歴はすべて、
この世代を超えたトラウマの考えに何らかの根拠があります。
不安や抑うつに苦しむ多くの患者の両親や祖父母も苦しんでいることが多いです。
それはある世代から次の世代へと受け継がれてきたものなので、
あたかも取引が終わったかのように、彼らはそれを克服する方法がないと恐れています。
これが家系の中でいつ始まったかを知ることで、とても癒されることもあります。
衝脈を治療することで、
私たちはこの伝染の重荷から解放され、
将来の世代のために連鎖を断ち切ることさえできるかもしれません。
もしも私たちが衝脈の治療をするのであれば、
前の世代からのトラウマの重荷を次の世代が背負うのを防ぐことができるかもしれません。
衝脈と家族の期待感
このように衝脈は家系へ関わりを持つため、
文化的な集団または家族の中で生じる期待感にも関連します。
自分自身の生活をどのように過ごしたいかについて、
両親や両親の思想を理解しているけれど、
両親や両親の思想と非常に異なる考えを持っている個人にとって、
多くの苦しみの源となる可能性があります。
家に帰って両親が選んだ人と結婚するという家族との義務を果たしたくなかったために、
強い罪悪感と不安感に苦しんでいる場合。
これらの感情により、自分が誰であるかを完全に表現することを妨げられ、
また、人と深い関係を持つことを非常に困難にさせてしまう可能性があります。
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